■■9章「集電」(松山 晋作)

●p.177
 「0系(東海道)-200系(東北・上越)の時代は、・・・BTき電方式」とありますが、東北・上越新幹線は、山陽新幹線後の開業であり、ATき電方式です。

<回答>
 ご指摘ありがとうございます。「東海道新幹線は開業以来、当時在来線の交流電化で採用されていたBTき電方式が続き、列車は1ユニット(2両)ごとに…」と改めます。

●p.181
 「戦後鋼材が払底して・・・「き電ちょう架方式」として用いた時期・・・最近は・・・2本の硬銅より線をき電ちょう架方式とした・・・」とありますが、国鉄におけるき電ちょう架方式は、戦前の1931年に中央本線の笹子トンネルで採用されたのが最初との記録※もあります。いずれが、正しいのでしょうか?
 また、現在のき電ちょう架方式が、従前の技術をそのまま踏襲した印象を受けます。大都市圏の大電気容量電化区間での、き電ちょう架線の弛度調整等の技術的課題を解決した結果、現在のき電ちょう架方式が実現したようです。技術開発に取り組んだ技術者の努力に報いるためにも、技術開発の結果であることを技術書として若干触れるべきではないでしょうか。
 JR西日本のき電ちょう架線は1本のアルミ覆鋼心耐熱アルミ合金が使用されています。
※ 鉄道と電気技術 2011年12月号 P82

<回答>
 ご意見ありがとうございます。上記箇所の次に書いたように、この方式は、トンネルなどでは従前から使われていたものです。たまたま戦後鋼材払底の折、やむを得ず硬銅より線を使ったこともある、という史実があったことを述べたもので、これがこの方式の源であったのではありません。硬銅より線では強度が低く、異種金属接触腐食など多くのトラブルがあったと思われます。しかしこういう小さな経験が重なってある條件、例えば1970年代の電力送電線(交流)向けのアルミ被覆鋼線(AS線)、1980年代のアルミ被覆鋼芯・耐熱アルミより線など、強度、発熱、熱膨張、防食などの課題に応えた架空電線の開発などでブレークスルーが起きました。現行の最新「き電ちょう架線方式」は、材料的にも電力送電技術の向上が背景にあります。残念ながら本書ではそこまでは踏み込めませんでした。
 笹子トンネルが「き電ちょう架線方式}の嚆矢であったことは初めて知りました。笹子トンネルは蒸気用に小断面で掘られたため天井が低く、1931年電化に当たっては車輛側でパンタ高さを低くすることが必要でしたが、架線も現代のような剛体架線がない時代ですから、特殊な方法が採られたのでしょうか。因みに1893年開通の碓氷峠ではアプト式第三レール集電でした。
 JRに分割後の新しい技術については、国鉄時代と異なり各社が独自に開発しており、現状では公表に制約があります。これについては、序章でも述べたように、後世の技術書を待つほかありません。さらに、執筆者も狭い材料の専門家で、架線力学などの専門外の分野には疎いことをご理解ください。